生きている、とはどういうことでしょうか…
それぞれが命の炎を燃やし、一時一時を積み重ねて流れていく。
命あるものは、かた時もその場に留まることはありません。
変わりゆき、流れていく…
ものつくりの最大の目的が命を宿すことだとしたら、命を吹き込む最大のテーゼは物語性とバランスだと思います。
武道に心・技・体という言葉があるように、生きていくものつくりは、今現在とのバランスが大事です。
時代をただ賛美するでなく拒絶するでなく、今の状況・環境・人・素材・時間、これらのバランスを考え、バランスの円の中にものつくりの中心が存在していなければなりません。
そして物語
誰がいつ、どのように流れていくのか
それは人だけでなく、大地の物語・素材の物語・生きとし生けるものの物語
私たちが皆さんとお会いして、仕事をさせてもらい、何かができて、日々時を刻んでいく
ここには一つの大きな流れによる必然的ともいえるストーリーがあります。
人の出会い、縁に対するストーリーのことも忘れてはいけないと考えます。
庭つくりは、人と出会い・地と出会い・木と出会い・石と出会い・工業製品化された素材と出会い・多くの出会いの中で、それぞれの物語性を考慮して自分も共に流れていきます。
そもそも物語がみえない場所に人は魅力を感じるでしょうか。
命のストーリーを追求していく。
よい庭になったなと感じた時には、あっ最初からこういうものだったんだなという普遍性があります。ずっと続く物語の途中に新しい物語が生まれまた流れていく。
庭つくりは、未来の命のあり方に懐疑的な現代に残された数少ない、人間性と命のあり方を感じていける仕事であります。
私は今、47歳になりますが、思えばこの20年…いや10年、世の中は大きく変わってしまいました。
古き良き時代の空気を少し知る私にとっては「変わってしまった」と言ってしまいたくなります。
ネットワーク化され、いつでも繋がれる人の輪が実はどこまでも個々の主観に支えられたバラバラなものに思え、時々悲しくなります。
命が生きていくゆったりとした時間リズムを離れ、いたずらに無数に現れては消えるあぶくの時間に支配されつつあります。
しかし私の世代はとても幸せな世代です。
人間と人間ではないかもしれないものの未来の変革期で、いいも悪いも味わい深く生きてくることができました。生身のふれあいと汗をかかねば出来ないことが沢山ありました。
さあ今後10年・20年・30年後はどうなるのでしょう。
もはや100年後まではとても考えられません。
私たちの最大の役目は何気ない人としてのストーリーを、次の人々に引き渡していくことだと思います。それは何か特別なことではなく、自分が人として生きてきた日々、これからも人としてあり続ける日々をただ実践していく。
私はこの仕事を通し、人間性と身体性、命の物語をわずかながらでも未来の人に引き渡していきたいと心から思っています。
ずっと人であるために、世界が変わってもずっと人であるために。